私のホームページ作成ヒストリー2

A103_017私は、ホームページ作成と同時にプログラムの可能性の広さにのめりこんでいった。当時はWEBの静的なHTMLに対して、動くコンテンツを「マルチメディア」と称した最後の時代だった。macromedia Director からflashへのパラダイムシフトが起きつつあるころだ。私は中学生時代の「マイコンBasicマガジン」ほどのプログラミング知識で、当時人気だったバンダイのぬいぐるみ、「プリモプエル」を操って宇宙空間に浮かぶハートをひたすらとり続ける、というゲームを作った。今思うと、ひどい出来だが、それがそのままwwwに載っかり、世界に発信されることに興奮を覚えた。その後、紙媒体やHTML、WEBデザインのイロハも教わったが、この時に「プログラミング」と「アニメーション」だけに極端にかけた時間が今でもわたしの基礎となっている。

このホームページ作成会社は当時上がり調子だったこともあり、「われわれは狩猟民族だから、家に帰らず働け」がスローガンだった。私は結局2年で辞めて、フリーでホームページやCD-ROMの制作を受注するようになった。そんなある日、電通のある人から、「アシスタントを探しているんだけど、興味はないか」という連絡をもらった。採用のための課題は、「なんでもいいから、革新的なホームページを一週間以内につくれ」今思うと無茶な課題だ。その時作ったのは、motion diveをWEB化したようなものだ。ブロードバンドが初めて普及し始めて、ようやくオールflashサイトが世に出だした頃。これからflashの使い手は増えていくだろう

とVJ素材としてflashムービーをアップロードして共有できる器を用意し、みんなの「VJライブラリ」を作った。音源に合わせてライブラリから選択したムービーを自由にスイッチングして、一曲分の気持ちのいいミュージックビデオを作ろう、というコンセプトだ。ムービーのコミュニティサイトのような感じといえばわかるだろうか。実際には完成したのはコンセプトだけで、ホームページとサンプルムービーは数点しか作れなかったのだが、なんとかその場で採用になった。ほぼ同時に大学も卒業した。