私のホームページ作成ヒストリー3

A103_016私を採用した電通マンは恐ろしく素早い動きをし、ぴしゃりと判断をする、冷酷を絵にかいたような人だった。当時の部長だ。部長は、歩くスピードがこれまた恐ろしく早かった。「こちらの部屋にきたまえ」と言われて、あとをついて曲がったらもういなかった。「君は、月、水、金。使えなかったら、三か月後、契約は更新しない。広告がどういうものかは・・・早くわかったほうがいいな。よろしく。」とだけ言い残し、また疾風のように去って行った。私は身震いして、これが電通か…と感じた。しかし、実際のところ、電通の中でも素早いのは部長だけだった。そして部長は、飲むと破顔する、とてもいい人だった。その時以来私は、月、水、金、の

9時17時でわけのわからぬまま自分の席に座り、ただただWEBブラウジングをしたり、プレゼンの資料の一部として「こんな感じのホームページになりまーす」というflashムービーを作ったりと緊急要員として下働きをしていた。そんなある日、一人の先輩から変わった仕事の依頼をもらった。「ホンダがYahoo!japanにタイアップ記事広告を掲載することになったから、そのバナー広告を作ってくれ。」ところが私は、広告のことをまだよく知らず、「タイアップ」も「記事広告」もよく意味が分からなかった。「ホンダがYahoo!japanにほにゃららをほにゃららすることになったから、バナー広告を作ってくれ。」としか理解できなかった。アートディレクターのその先輩は、「こんな絵があるんだけど、昔のゲームウォッチみたいなテイストで、ピンボールっぽい動きを作ってくれないかなあ」という。私は即座に「ピンボールそのものができますよ」といった。うそだった。

当時の私はまだ大したプログラミングのスキルがなかった。しかも容量は20キロバイト。ケータイの壁紙レベルだ。そこにプログラムを介して、ゲームを作りきる勝算はまったくなかったが、つい「できますよ」と言ってしまった。「へー!じゃあ、どれだけ時間がかかってもいいから、それを作ろう」と先輩。結局それから何日も徹夜をして、私は「20キロバイトでできるピンボール」の制作に取り組むことになった。それまでflashの知識がないのをひた隠しにしていたが、実費でこっそり教則本を買い込んだ。当時、電通ではいち早く嫌煙、分煙の波が高まっていたにも関わらず、私のデスクの周りには病院の待合室でわが子の誕生を待つ父親のごとくに吸殻が突き刺さり、ガトリング法の様相をしていた。周囲の冷ややかな視線に耐えながら、制作とデバッグを続けた。