私のHP作成ヒストリー5

A103_009前年からそこにサイバー部門が新設されてWEBデザイナーも入れて参加できるようになった。日本国内選りすぐりの優秀なアートディレクターとコピーライターに交じって、相変わらず広告のコの字も知らない私が参加することになったのである。なんといっても、当時6000人の社員がいる電通で、flashを実制作レベルで扱える人間が私しかいなかったのだから、選んだ側も苦渋の決断だったのだろう。「わかりました。」と元気よく答え、海外旅行未経験の私は急いでパスポートをつくると、なにがなんだかわからないままカンヌへ飛んだ。行きの飛行機の中では「なぜ鉄の塊が飛ぶのだ」と不安になりながら「広告広告」とひたすら考えていた。コンペのテーマは公共広告だったので、それまで真面目に考えたことのない諸問題を受験勉強

の小論文対策のように「あの問題だったらこれをつくろう」と考えながら一人でうなっていた。カンヌといえばリゾートを楽しむものにとっては見るものすべてが魅力的な土地だが、そんなことは一切関係がなかった。ただ私を信じて送り出してくれた上司たちへの責任を感じていた。カンヌでの課題は面食らった。「来るアテネオリンピックのブランディング」。公共広告ではない…ブランディングって…何…?それまで公共問題でいっぱいになっていた私の頭は一瞬にしてパニックに陥った。

ブリーフィングの英語が聞き取れなかったこともさらに不安をかきたてた。ホテルに戻って、ブリーフィングシートを一度熟読した。それから例のアートディレクターとコピーライターとともに、部屋の壁に企画書を何十枚も貼り付けて、ああじゃない、こうじゃないと朝までプランを出し続けた。結局私がその時つくったのはやはりゲームバナーだった。アテネオリンピックのすべての種目をflashのゲームにし、ハイスコアランキングをとる。いわばバーチャルな世界でのオリンピックをバナーで実現した。ファミリーコンピュータのソフトとして人気を博した、「ハイパーオリンピック」のような操作性のものだ。そして、すべてのバナーの最後で、「バーチャルゲームのあなたの戦績では、あなたは世界○位。もっとエキサイティングなリアルワールドの戦績を見るなら

こちら」としてオリンピックのサイトへの誘導を図るという「メディア提案」だった。