技術の勉強

JQ191_72A技術の勉強をするときに最も効果的なのは、真似をしてみることだ。

私の場合は教則本を買って、その通りにやる、ということはあまりしない。

本は辞書的につかい、かっこいい動きやデザインを見たら、模写してみる。

なんか違う、と試行錯誤を繰り返すと、いいものと駄目なものの際がわかってくるはずだ。

この人はこんな簡単にやっているのか、もしくは、こんなにこだわっているのか、ということもわかる。

これほどに真似をしてみることの効果は高い。ソフトウェアの広告にあなたの可能性が無限に広がります、

のような宣伝文句があるが、あれは逆だと思う。まずは表現を挟めることが大事なのである。

なにがOKでなにがダサいのか、それを知ることだ。もっともソフトウェアメーカーが、

あなたの表現が無限に狭まります、と下記うわけにはいかないが。

ただし、例外もある。例えば、thaのなかっむらさんだ。この人が作ったものの動きがかっこいいからと言って、パクってはいけない。この人は自然の摂理に従った動きを作っていない。

「俺の中のおっこいいコンピュータって、こんな感じ」という独特の感性だけでまとまりがあって

気持ちのいい世界観を築けてしまう。こういう天才の表現こそ、「なんか似てるね」になりやすい。

企画のアイディアそのものをパクるのもやめたほうがいい。「あ、似てる」と思った瞬間、

できるだけそのアイディアは捨てる。技術や法則などの「普遍性」は自分のものにできるが、「個性」をまねるとパクりになる。

実は私も過去に中村さんのUIを無意識にパクってしまったことがある。

似ていること自体に気付かなかった。自分なりに作ったつもりが、酷似していた。

そしてそれが、ある有名な広告賞の金賞を獲得してしまった。

気付いたのは、そのあとだった。中村さんとはあまり親しくなかったが、すぐにメールで誤った。

本人は気にしないでいてくれたようだ。でもその後、2年間、話しかけてもらうまでは

私のほうからは話しかけられなかった。意識しなくとも、パクリは駄目だ。

クリエイティブコモンズライセンスなどを見ても、知識財産についての権利は細かに定義されつつあるようだが、アニメーションやUIなど、表現のパクリの境界線はあいまいだ。それに、表現はすべてが

やりつくされているといっても過言ではないので、まったく新しいものを見つけるのは不可能に近い。

どこまでがパクリでどこからが自分の表現になっているのかを見定められるのがプロなのかなあと思う。

アニメーションは、できるだけ自然法則にしたがったほうがいいと書いた。

それは静止物のデザインも同じだ。あるべき場所にあるというレイアウトが一番しっくりきて、気持ちがいいデザインになる。

しかし、ひとつだけ常識や摂理に反したものをお香。するとその一つがぐんと目立つ。

ひとつというのがポイントだ。二つ以上あるとカオスになる。逆に一つも変な部分がないと

「なんかきれいだね」でおわる。これはあるアートディレクターの先輩に教わったことだが、

手を動かしてみると、その通りだと実感する。

ではどんなものを目立つ部bンに置けばいいのだろう。もちろん「言いたいこと」だ。

広告だったらメッセージそのものでもいいし、広告展開尾シンボルにしているグラフィックでもいい。

その置き方が自分らしさにもつながる。

これはデザインだけでなく、企画でも同じだと思う。4コマ漫画でいうところの起承転結の「転」だ。

ここの部分の料理のしかたr一つで、全体を支配する個性が決まる。

逆に言うと、そこ以外は変なことをやってはいけないのだ。

とはいえ、耐え性がない私はついつい変なことを増やしてしまう。

例えば、東京インタラクティブアドアワードのWEBサイトを作ったとき、

コンセプトは前年にベストクリエイター賞を受賞したクリエイティブディレクターの伊藤さんを全面的に讃えよう、

ちょっとバカにするくらいフィーチャーしようというものだった。